鍵を架ける


綺麗とは決していえない廃墟の奥。
そこはこの建物が生きていた頃にはパーティなどで使われていたのだろうと思わせるくらいには広く、 そして天井は高く、壊れかけたシャンデリアが今にも落ちそうに斜めにかかっていた。
テラスになっているような大きな窓から射し込む光の下、彼は分厚い本を開いていた。


「団長」

「…しばらくだな、シャル。てっきり猫に蜘蛛が喰われたかと」


気配でわかっているだろうに、何の反応も示さず本から顔を上げようともしないクロロを前に、
シャルナークは苦笑して仕方なく呼べば、嫌味が返ってきた。 この一ヶ月、といるのが想像以上に楽しくて、盗賊の活動に参加していなかったからだろう。
クロロは本から目線をあげないまま、口元をやや上げただけだった。


「…嫌味だなぁ。ちょっとしたハジメテの休暇じゃないか」


それにやることは最低限やってたはずだよ、と少し口を尖らせた シャルナークは年相応で可愛いとは心の中で思った。


「で、何の用だ?」

「うん、ちょっとの水見式を見てほしいんだ」

「もう念を?」


クロロが驚いた表情で、ここへきて初めて顔を上げた。 確かに、クロロとシャルナークがに出逢って、まだ一月程しか経っていないのだから当然だ。


「それがさ、怖いくらいの上達速度なんだよね・・・念は」

「念は?」

「体術がてんで無理」

「・・・普通は体術をある程度こなしてから念を学ばせるのが普通だが。変に念能力者に目をつけられるだけだぞ」

「わかってはいたんだけどねー。なんかやらせたくなっちゃって」


クロロは重い溜息をつくと、開きっぱなしだった本を閉じて、こちらへ向きなおした。
真剣に話を聞く体勢だ。それにシャルナークが満足そうに笑ったのがわかる。


「・・・。念はいつから?」

「一週間ほど前かな。基礎はほとんど」

「念の基礎を一週間、か。驚異的だな。俺に水見式を見るように言うくらいだから特質か」

「うん。だからクロロに頼もうと思って」


クロロはしばし何か考えるような素振りをした後、言葉を紡いだ。


「難しいな」

「…」

「これは俺の推測だが…にはパクの能力が効かなかっただろう?そこに何らかのヒントがあるはずだ」

「…もうの中で能力は確立しているってこと?」

「そう考えるのが妥当だろうな。の場合、これから発を自ら築き上げるというより、既に自分の中に在るものに気付く、と言った方が正しい」


そっかぁ、と気のない返事をするシャルナークは、唯一の頼りを失った、という感じで見るからに落胆の色を見せていた。 それでもが きゅ、と服を握る力を強めると、安心させようとしたのか彼は微笑った。


「・・・まぁアドバイスだけでもしてよ」

「いいだろう」


ずっとクロロとシャルナークの話を聞くだけだったに、二人の視線が留まる。


「じゃ、やろっか」

「・・・うん」


台の上に用意された水見式のセット。ホームにはないだろうから、とシャルナークが言ったので、家から持ってきたものだった。

コップの中の小さな世界に、この一月で見慣れた幼くなった己の姿が映る。
水見式を初めてしたのはつい昨日のことであるはずなのに、随分と昔のことのように感じられた。 なのに、こちらの世界に来てからの一月は、あっという間に感じるのだ。
矛盾している、そうわかっているのに、はそう感じていた。

覚えたばかりの練をする。
体術は元の世界にいたときに比べれば向上しているものの、一般人並には変わりなかった。
しかし、念は不思議とすぐに感覚が掴めた。元から知っていたかのように、なんらつらいことはなく、 トントン拍子で基礎を一週間で一通りこなしてしまった。
シャルナークも驚いていたが、誰より自身が一番驚いていた。



この世界に来て、シャルナークに逢って、一緒に暮らして、念をすんなりマスターして。
そうやって今まであったことを思い返していくと、 たちまち心がドロドロしたどす黒い何かに呑み込まれるように、息ができなくなる。

こわい。どこかで、きっと、しっぺ返しがくる。



の心を知らずに、水見式は反応を示した。
次第に葉が揺れ、水が揺れ、グラスが揺れ―――・・・消えた。

文字通り、跡形もなく、消えてしまったのだ。


「・・・消えた、な」


クロロの声だけが響いた。
特質系であるのは一目瞭然であったし、ある程度はどんな能力であるかも予想がつくものの、 広く意見を聞いた方が良いということで、 今回、シャルナークとはクロロに相談しに来たのだ。





は、この水見式を見たとき、純粋に怖い、と思った。



消される。跡形もなく。


それはまるで、世界から私が消えても、誰も何も思わない、気付かないのだ、と
どこからか言われているようだったから。


わたし、という存在など、最初からありはしない、と。


存在の不安定さを、危うさを、示しているようだった。



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